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ラミレス新監督の嫁はどんな人?日本語はできるの?


中畑清監督の退陣により大いにゆれた横浜DeNAベイスターズの新監督人事ですが、ようやく新しい監督が決まりました。ヤクルトスワローズ、読売ジャイアンツ、そして横浜ベイスターズと3球団を渡り歩き、外国人枠適用経験者の中では初めて2000本安打を記録した名打者、アレックス・ラミレス氏です。

現役時代は明るいキャラクターとコンスタントに3割30本を打つ強力な打撃でチームの中軸として活躍、晩年は独立リーグでもプレーしました。そんなラミレス選手の半生を振り返ってみたいと思います。

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アレックス・ラミレスは1974年生まれの元プロ野球選手です。実家はベネズエラの首都、カラカスの近郊です。ラミレスが住んでいた町は人口200人程度のとても小さなところで、その4分の3がラミレス一族だったようです。

 

 

5歳の時に兄の影響で野球をはじめ、8歳の時にリトルリーグに所属します。15歳で本格的にプロ野球選手を目指すために学校を退学、1994年には若干20歳にして早くも結婚します。その後3Aで活躍し、メジャーリーグの試合にも出場しますが、そこでは思ったような結果を残すことはできませんでした。

 

 

2001年にヤクルトスワローズに入団。当時フロリダ州で家と車を購入したばかりでローンが残っており、当初は出稼ぎ感覚で1年だけプレーしてすぐにアメリカに戻るつもりだったようです。移籍1年目の年は打率.280、29本塁打、88打点といきなり主力級の活躍を果たします。当初はサクッと稼いでアメリカに戻るつもりだったそうですが、日本での暮らしになじめたことと年俸が大幅に上がる見込みだった子をお受けてチームに残留。その後もヤクルトスワローズの主力選手として活躍します。

 

 

移籍3年目の2003年には打率.333、40本塁打、124打点という極めてハイレベルな成績を残して自身初となる本塁打王と打点王を獲得。その後も常に.300,30本前後とハイレベルな成績を残してヤクルトスワローズの中軸を支えます。2007年には外国人打者、および右打者として初となる200本安打を達成します。

 

 

2007年にヤクルトの契約が切れ、交渉も決裂したことから退団。右の大砲を探していた読売巨人軍との契約が成立します。移籍1年目は例を見ないほどのハイペースで撃ちまくり、結果として地震最高となる45本塁打を記録。移籍3年目となった2010年には49本塁打を放ち、自身2度目となる本塁打王を獲得します。

 

 

2011年は統一球の影響もあったものの23本塁打と一定の存在感を放ったものの退団。2012年に横浜DeNAベイスターズと契約を果たします。すでに40歳を間近に迎えていたこともあり本塁打数は大きく減ったものの、それでも移籍1年目は打率.300、19本塁打を放ちチームの主軸として活躍。この年には外国人枠経験選手では史上初となる2000本安打も達成します。2013年を持って横浜DeNAを退団、2014年に独立リーグ(BC群馬)で1年プレイし、引退を表明します。

 

 

2015年は同チームのシニアディレクターを経てオリックスバファローズのアドバイザーに就任。2015年10月に一軍監督就任が発表されました。

 

 

打者としては極めて優秀で、2000本安打、NPBでの生涯打率3割、380本塁打、本塁打王2回、首位打者1回、打点王4回という成績を残しています。怪我もほとんどなく、2005年から2010年にかけては6年連続で最高試合出場集を記録しています。

 

 

一方で守備範囲は狭いうえ失策も多く、この問題については本人も自覚しており「守備は全力で頑張るが専門ではない。自分は打撃に尽きる」と発言しています。

 

 

私生活では来日前に結婚したものの2015年3月に協議離婚が成立。現在は7歳年下の日本人女性と結婚しています。日本暮らしは長いですが日本語はあまりうまくない模様で、新監督就任にあたってはまずは言語の壁を取り払う必要がありそうです。



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