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元横綱・千代の富士の九重親方がすい臓がんで死去、最近は激やせも


元横綱で、史上3位の幕内優勝回数31回を記録した千代の富士の九重親方が7月31日、東京都内の病院でなくなりました。61歳でした。

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九重親方は1955年生まれの元大相撲力士です。本名は秋元貢、身長183cm、現役時代の体重は126kg。得意手は右四つ・寄り、左上手投げ。中学卒業後すぐに初土俵を踏み、それから5年で幕内に昇進します。その後一旦十両に陥落し、なかなか幕内に復帰できない日々が続きますが、1977年11月場所に東十両筆頭で9勝6敗の成績を上げると、その後は幕内に定着します。

 

 

当時は大型化が進んでいた角界の中ではかなりの小兵であり、苦戦を強いられることもしばしばありましたが、次第に幕内上位でも通用するようになります。1981年1月場所には東関脇の地位で14勝1敗の成績を上げ、北の湖との優勝決定戦を制して初優勝を成し遂げます。

 

 

大関はわずか3場所で通過し、1981年9月場所に横綱昇進。当時すでに26歳と大横綱の横綱昇進時の年齢としてはあまり早くない方でしたが、その後は驚異的なペースで優勝を重ねていきます。かつては一方的に敗れることの多かった北の湖に対しても優位に立つようになり、ひたすら優勝を積み重ねていきます。それまでの横綱は30歳ぐらいで引退することが多かったのですが、千代の富士の場合はむしろ30歳を過ぎてから優勝のペースが上がりました。

 

 

1989年7月場所は史上初となる、同部屋での優勝決定戦に進出。弟弟子である横綱・北勝海を上手投げで破り、優勝回数をさらに積み重ねます。1991年5月場所には当時飛ぶ鳥を落とす勢いで出世していた貴花田(後の貴乃花)と初日にいきなり対決しますが、いいところなく敗れてしまいます。同場所3日に目に貴闘力に敗れて引退を決意、年寄・九重を襲名します。

 

 

優勝回数31回は当時2位、現在でも3位という非常に傑出した数字で、昭和後期~平成初期を代表する横綱としてファンの印象に今も強く残っています。

 

 

引退後は年寄りとして後進の指導にあたり、大関・千代大海や小結・千代天山らを育て、指導者として用いを獲得します。2015年5月31日には両国国技館で還暦土俵入りを披露。60サイトは思えない肉体美を披露して周囲を驚かせます。

 

 

ところがその直後、7月には内臓疾患で場所を全休。検査ですい臓がんが発見され、手術を受けます。2016年にがんが再発、その時にはすでに胃や肺などにも転移しており、次第にやせ細っていく姿が報じられていました。毎場所14日目にはNHKで解説をするのがおなじみでしたが、2016年7月場所は途中休場で解説はなし。場所終了直後の2016年7月31日、すい臓がんでなくなりました。

 

現役時代は身長183cm、体重126kg横綱としては非常に小柄でしたが、体脂肪率10%という非常に筋骨隆々とした体つきをしていました。見た目に見合った腕力も持ちあわせており、自分より大きな力士を豪快に投げ飛ばすこともしばしばありました。足腰も盤石であり、横綱土俵入りは非常に美しかったです。現役通算1045勝は当時1位、今も魁皇に次ぐ2位の記録です。

 

 

このように現役時代の活躍はケチのつけようもないほど華々しいものですが、一方で現役引退後はあまり良い噂を耳にしません。通常、相撲協会の理事長は現役時代に類まれなる成績を残した人がつく慣習になっていますが、千代の富士は最後までその座につくことができませんでした。現在の理事長・八角親方(元横綱・北勝海)は千代の富士にとっては弟弟子で、現役引退時の優勝回数は8回と千代の富士に大きく劣っています。

 

 

また、2014年の理事会では、最下位となる5票しか獲得できず、11人の候補者中唯一の落選となりました。現役時代は非常に華々しくとも、その後の評判はお世辞にもいいとはいえなかったようです。

 

 



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1件のコメント

  • Sachiyo Tohriyama

    元横綱千代の富士のご冥福をお祈りいたします。

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