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元貴ノ浪が急死、現役時代には物言いも


個性は大関として人気だった元大関・貴ノ浪の音羽山親方が6月20日に亡くなりました。43歳でした。
現役時代は2m近い長身を武器に河津掛けや小手投げを武器に活躍。優勝決定戦では同部屋の力士である貴乃花を2回にわたり倒すなど意外性もある力士で、大関陥落後も長く土俵を務めました。

 

 

現役引退後は酒とたばこを控えるなど健康に気を使っていましたが、薬を多く服用し心配する声もあった親方。その現役時代を振り返っていきたいと思います。

 

 

貴ノ浪関連リンク

曙対貴ノ浪

得意の河津崖で逆転勝ち

角界からも惜しむ声

悲しいですね

貴ノ浪生涯成績

大関を37場所務めました

ファンからも惜しむ声

人望がありました

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貴ノ浪は1971年生まれの元大相撲力士です。身長196cm、体重160Kg。
中学卒業後に初土俵を踏み、約4年で十両に昇進します。
十両昇進当時はまだ19才であり、十分早い出世だったのですが、貴ノ浪の才能を買っていた師匠からは「おそい」と言われたとか。

 

 

十両も順調に4場所で通過、入幕後も順調に番付を上げていきます。1993年9月場所から1994年1月場所にかけて関脇で35勝の成績を上げ、文句なく大関に昇進。当時すでに大関だった貴乃花とのダブル横綱とのダブル横綱を期待されます。

 

 

大関昇進後も安定した成績を残しますが、なかなか優勝できずにいた貴ノ浪ですが、1996年1月場所は好調で、5日目に剣晃に敗れたもののその後は全勝。14勝1敗の好成績を残し、貴乃花との優勝決定戦に挑みます。

 

 

優勝決定戦では貴乃花の再三の外掛けをこらえて、土俵際の河津掛けで逆転。ついに初優勝を果たします。
その後も大関としてふさわしい成績を残し、1997年11月場所は再び14勝1敗の成績で貴乃花と優勝決定戦。
立ち合いすぐに自分十分の左四つに組み止めてから上手投げで放り投げ、二度目の優勝を果たしました。

 

 

が、その後は次第に成績も降下し、1999年11月場所を持って大関を陥落します。
翌場所関脇で10勝して大関に復帰しますが、その後2場所連続で負け越して再び大関陥落、以降は平幕上位での相撲が続くことになります。それでも持ち前の体格を武器に活躍し、2002年11月場所には武蔵丸、栃東、武双山らを破って敢闘賞を獲得します。

 

 

しかしその後は加齢と心臓の不調で番付を下げ、引退。年寄音羽山を襲名します。
引退後はその聡明さと人柄の良さを生かして活躍。貴乃花部屋のけいこ指導を務めていましたが、
2006年1月には一時的に心肺停止に陥るほどの危機をさまようものの、再び復活します。

 

 

その後も体調不良は続き、2015年6月20日にホテルで倒れているのが発見され、急性心不全で亡くなります。43歳でした。

 

 

現役時代は2m近い長身を武器に活躍していました。
深い懐と長い手足を生かして相手を抱え込み、そのまま背筋力を生かして吊り上げるように極め出したり、小手投げを打ったりするのが得意でした。また、河津掛けを見せることもあり、曙と貴乃花をこの奇手で破ったことがあります。

 

 

相手を引っ張り込むという性質上長身の相手を苦手としており、曙に対しては5勝34敗とほとんど歯が立ちませんでした。武蔵丸もかつては大の苦手としていましたが、大関に定着して以降は攻略法を発見。
一時期は7連勝するなどもしました。通算成績は21勝38敗です。

 

 

同部屋の貴乃花とは2回対戦して2勝0敗。朝青龍とは14回対戦して2勝12敗となっています。
大関陥落後は足首の不調もありかつてのような豪快な相撲を取ることはできなくなってしまいましたが、
時折全盛期を思わせる派手な投げを見せることもありました。

 

 

また、貴ノ浪は現役中に物言いをつけたこともあります(控えの力士には物言いをつける権利があります)。
貴ノ浪が物言いをつけたのは1996年1月場所9日目の貴闘力-土佐ノ海戦です。
軍配はいったん土佐ノ海に上がりましたが、協議の結果判定は覆り、貴闘力の勝ちとなりました。

 

 

音羽山親方のご冥福をお祈りします。



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