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徳光和夫と藤井将雄の関係性は?タバコと肺がんと墓、皆様へのメッセージ


1990年台に福岡ダイエーホークスの中継ぎ投手として活躍した藤井将雄選手。
当時は強豪とは言えなかったダイエーホークスでは数少ない安定したピッチングが出来る投手であり、その闘志を前面に押し出したスタイルから「炎の中継ぎ」と呼ばれていました。

 

 

しかし藤井選手は全盛期だった2000年に、肺がんで死去してしまいます。
なぜ炎の中継ぎは若くしてこの世を去らなければならなかったのでしょうか。

 

 

藤井将雄選手関連リンク

藤井将雄公式ウェブサイト

今もファンの心に焼き付いています

藤井将雄はどんな男だったか

まさに炎の中継ぎ

下柳が語る藤井将雄

ええ奴だったそうです

藤井将雄、最後のメッセージ

さようなら

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藤井将雄選手は1968年生まれの野球選手です。
高校進学後は日産自動車九州に入社して、エースとして活躍します。
プロ入り後はしばらくの間先発を任されていましたが、あまり結果が出ずに中継ぎに転身

 

 

1998年には自己最多となる48試合に登板し4勝0敗、防御率3.05の成績を残します。
1999年には当時パリーグ最多となる26ホールドを記録し、炎の中継ぎと称されます。
が、このころから藤井選手は体調を崩し始めます。

 

 

マウンド上で咳き込む姿がたびたび見られるようになり、日本シリーズ前の検査で末期の肺がんが発見されます。
末期がんのことは本人に伏せられます。
1999年から2000年にかけては入退院を繰り返し、一時期は2軍戦に参加できるようになるまで回復しますが、その後容体は急速に悪化。

 

 

10月にはベッドから起き上がることもできなくなり、チューブだらけに。
チームが優勝を果たした数日後、31歳で亡くなります。
ズームイン朝では徳光和夫さんが藤井選手の死を喜んだという都市伝説もありますが、真相は不明です。

 

 

藤井将雄選手に病名は伝えられていませんでしたが、
藤井選手も入退院を繰り返すうちに自分の病気の重さに気が付いたのでしょう。
ある日「皆様へ」というコメントを出します。

 

 

中内正オーナー、王貞治監督をはじめとする多数の人々に対する感謝をつづっており、
病床にあってもなおチームの行く末を案じていたことがひしひしと伝わってきます。
葬儀には福岡ダイエーホークスの選手全員が葬儀に参加したことからもわかるとおり、愛される人柄でした。全盛期は決して長くありませんでしたが、その活躍は今もなおホークスファンの心に焼き付いているのです。

 

 

藤井選手がなくなった後、福岡ダイエーホークス強豪チームに転身。
城島健司選手、小久保裕紀選手、井口資仁選手らを中心とする強力打線と安定した投手陣で黄金期を築きました。

 

 

藤井選手のお墓は唐津市湊地区というところにあります。
今でもたまに福岡ダイエーホークス時代の関係者やファンが訪れるらしく、
当時のメガホンなどが添えられています。

 

 

さて、藤井選手が亡くなった理由ですが、一説によればタバコが原因といわれています。たばこの吸い過ぎが体によくないことは皆さんご存じの通りですが、
藤井選手の場合は特にかなりのスモーカーだったようです。

 

 

いくらヘビースモーカーといえども31歳という若さでなくなるのは珍しいことです。
もうちょっと節制が出来ていれば長い間活躍できたのに……と思うと残念でなりません。

 

 

ちなみに、肺がんはかつてはそれこそ不治の病に近いものでしたが、
最近は治る病気に変わりつつあります。ただし、当然何もしないで治るわけはありません。病気に早い段階で気が付いたうえで、適切な治療を受けて初めて助かるのです。

 

 

月並みな結論になってしまいますが、やはり癌に関しては早期発見・早期治療が何よりも重要です。私も自営業で定期的に健康診断を受けさせてくれる人はいませんが、
それでも1年に1回は健康診断を自費で受けるようにしています。

 

 

最終的に自分の体を守ってくれるのは自分しかいないですからね。
皆さんも癌には気をつけましょうね。



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1件のコメント

  • 名無しのリーク

    香川県ルーちゃん餃子のフジフーヅはバイトにパワハラの末指切断の大けがを負わせた犯罪企業

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