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番長こと三浦大輔、引退へ 引退試合は9月29日、ブログは平常運転


横浜ベイスターズ一筋25年の大ベテラン投手、三浦大輔選手が2016年のシーズンを持ってプロ野球選手を引退することを表明しました。三浦選手は現役選手最後の大洋戦士にして1998年の日本一経験者であり、多くのファンが引退を惜しみました。

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三浦大輔選手は1973年生まれのプロ野球選手です。身長183cm、体重88kg、ポジションは投手。幼少を奈良県橿原市で過ごした三浦選手は、その後高田商業高校に進学。1991年のドラフト会議で横浜大洋ホエールズから6位で指名され、プロ入りを果たします。

 

1992年10月7日、読売巨人軍戦で公式戦デビュー。この試合は横浜大洋ホエールズとしては最後の試合でしたが、2回を無安打に抑える活躍を見せます。

 

1995年頃から先発ローテーションに組み込まれ、チームの柱として活躍。1998年には背番号18を付け、自身最多となる12勝を挙げてチームの優勝に貢献します。その後もチームの柱として長きに渡り先発ローテーションを守り続け、2005年には自己最多体となる12勝、防御率2.52の成績を残します。

 

2012年に横浜ベイスターズがDeNAに売却されたあともローテーションを守ってきていましたが、ここ数年は流石に長い回数持たない場面も散見されるようになります。2014年からコーチ兼任選手として活躍しますが、2016年はほとんど活躍できず、現役引退を決意します。通算成績は172勝183敗、負け越して入るものの横浜ベイスターズの暗黒期にも黙々と投げ続けチームを引っ張ってきた貢献度は計り知れないものがあります。

 

三浦選手が付けていた背番号18は事実上の準永久欠番として扱われ、着用がふさわしいと思われる選手が出てくるまでは誰にも継承されない予定です。

 

抜群のコントロールが持ち味

三浦選手は現代野球選手としては球速も変化球も平均的であり、それほどずば抜けているわけではありません。しかし、通算与四死球率は2.42と極めて優秀で、コントロールの高さは球界有数でした。大きな怪我も少なく、1993年から2015年まで23年連続で15試合以上に登板しており、ローテーションを安定して守った頑健さもかなりのものです。

 

一方で何故か開幕戦にはめっぽう弱く、7回登板して7回とも敗戦投手になってしまっています。横浜ベイスターズは暗黒期が長かったチームであり、三浦選手が好投しても打線の援護がもらえなかったり、あるいはリリーフの投手が打ち込まれたりして勝ちが消えたり負けが就いたりするケースが多く、その結果が172勝183敗、11の負け越しという通算成績にもつながっているようです。

 

ですが三浦選手自身は他人に責任を押し付けることもなければ、「もっと強いチームにいれば200勝できたのでは?」という問いに対しては「俺は横浜の三浦大輔だから」と答えるなど、強いチーム愛、ファン愛を示唆する発言をしています。

 

人としてはどんな人?

リーゼントに番長という愛称から一見おっかなそうに見えますが、実際には非常に優しい人です。サインを売るという悪質な行為に対して問われたときに「もっとサインを書いて三浦のサインなら球場でもらえるって言う風に知ってもらえばいい」と回答したり、横浜選手会に病院や小学校を訪問するプロジェクトを発足させたり、FA権取得時には阪神から猛烈なラブコールを受けるも「横浜で優勝したい」という思いから断ったりと、チームに対する情熱は本物です。

 

ブログの謎の角度

ブログもやっている三浦選手ですが、そこに掲載される写真がいつも同じような構図になっています。これは写真をいつも左手で自撮りしているからだそうですが、そのせいかブログには背景意外は全部全く同じ構図の写真が並んでいます。

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三浦選手の最後の登板は9月29日の予定です。全盛期を思わせるようなピッチングを期待します。



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