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福留孝介が契約更改で呆れた?現在の年俸は?


元メジャーリーガーの福留孝介選手。日本球界復帰後はかつての輝きが全くと言っていいほどみられずに低迷していましたが、2015年は1年とを通して活躍、日本球界では9年ぶりに20本塁打を記録するなど復活のシーズンとなりました。

 

 

もう39歳とベテランの域に入った福留孝介選手ですが、来年はいよいよ日米通算2000本安打を目指します。そんな彼の半生を振り返ってみたいと思います。

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福留孝介選手は1977年生まれのプロ野球選手です。守備位置は主に外野手。鹿児島県曽於郡大崎町出身、身長182cm、体重94Kg。PL高校時代から強肩強打の野手として注目されており、ドラフト会議では7球団が競合します。その後希望球団の中日・巨人以外の球団が交渉権を得たためこの時は氏名を断って日本生命に就職。ここでもアトランタオリンピック日本代表に選ばれ、銀メダル獲得に貢献するなど活躍します。

 

 

その後1998年にドラフト会議で中日ドラゴンズを逆指名して入団、プロ入り1年目からレギュラーをがっちりつかみ、だ打率.284、本塁打16本の成績を残します。当初は打撃こそ優れていたものの守備は今では考えられないほど荒く、そのためか本来の遊撃手のポジションから三塁に廻され、そこでも失策が続いたことから外野手に転向します。外野守備も最初は荒かったものの徐々に強肩と俊足が生かせるようになり、守備のかなめとして成長。打撃力もさらに向上し、2002年は打率.343、本塁打19本、65打点の活躍を見せて首位打者を獲得します。

 

 

2003年も打撃は好調で、自身初となる30本塁打を記録するなど活躍します。その後も安定した打撃成績を残し続けて、日本トップクラスの外野手に成長します。強打だけでなく強肩俊足でもあり、守備も一級品でした。2007年にFA権を獲得し、10月2日に行使。シカゴカブスと4年53億の契約に合意します。今見るとかなりの高額ですが、当時は松井秀喜選手やイチロー選手、新庄選手などメジャーで一定の成績を残していた日本人外野手が多く、それゆえ年俸が跳ね上がったものと思われます。

 

 

新天地での活躍を期待された福留選手でしたが、メジャー1年目は4月こそ好成績を残したもののその後次第に成績が低下、結局打率.257、10本塁打と微妙な成績に終わってしまいます。その後も毎年4月は活躍するものの中盤以降息切れするケースが多く、打率は常に.260~.270をうろうろ、本塁打も毎年10本前後と思ったほどの活躍はできませんでした。2012年は出場機会すらほとんどなくなり、2013年に日本球界に復帰。ここでも成績を残せず引退待ったなしかと思いきや、2015年は打率.281、20本塁打とかつての輝きを取り戻します。

 

 

選手としては広角に打てるうえ長打力もあるバッティングと、メジャーの右翼主として平均を超える強肩、走力が持ち味です。さすがに40を間近に迎えたこともあって衰えが見え隠れする部分もありますが、それでも成績を残したのは特筆に値します。

 

 

話は変わりますが、福留選手は契約更改で人一倍ごねることで有名です。以下は福留選手が契約更改で残した数々の名言です。

 

 

“井端が1回ゴネて3000万上がるのはおかしい”
“年俸が上がらないから車が買えない”
“誠意は言葉ではなく金額”
“僕の年俸が上がらないと、後輩たちに夢を与えられない”
“上がった分は寄付するつもりだった”
“査定が未知というのは球団の考え方でしょう。バランスで抑えられるのは変だと思う。”
“大きくかけ離れていた。楽しみにしていたから、がっかり。言葉も出なかった”
“額を見た瞬間? 言葉が出ません。あぜんとしたかな。球団からの提示は自分(の希望)と大きくかけ離れていた。久々にあきれました”

 

 

圧倒的な成績を残し続けていたからこそこんなことが言えるのかもしれませんが、それにしてもすごいごねようです。しかしさすが男福留孝介、ただの口だけの男ではありません。2011年3月の東日本大震災の直後にはポンと自身のポケットマネーから100万ドルを寄付、「誠意は言葉ではなく金額」を自ら体現しました。このあたりが並の人間と福留選手の違うところです。今シーズンは活躍しましたし、またかつてのような銭闘を見せてほしいものです。



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