スポンサードリンク

苅谷俊介の自宅は秦野市にある?考古学に傾倒したわけとは


タレントにして考古学者という
異色の肩書を持つ苅谷俊介さん。
最近は田舎で農業や考古学の研究に精を出しながら、
俳優としても活動するなど悠々自適の生活を送っています。

 

 

今回は俳優としての苅谷さんはもちろん、考古学者としての苅谷さんについても掘り下げていきたいと思います。

 

苅谷俊介さん関連リンク

公式ウェブサイト

なんだこの写真は

公式ツイッター

近況をお届けします

西部警察のスター「ゲン」が帰ってきた!

30年ぶりのサファリ4WDにご満悦

秦野市公式ホームページに登場

どんな講演なんでしょうか

スポンサードリンク

苅谷俊介さんは1946年生まれの68歳。
出身は大分県日出町で、大分工業高校を卒業後上京し就職します。
働きながら俳優になろうと東宝芸能学校演技科に入学し、
その後渡哲也さん主演の「さらば掟」で俳優映画デビューします。

 

 

その後はしばらく俳優活動に専念していたのですが、
1980年に石原裕次郎さんの新居建設現場から多数の土器が出土したことで、高校時代に好きだった考古学に対する興味が復活。

 

 

1982年には考古学研究のため石原プロを退団します(表向きの名目は独立して俳優業を営むため)。

 

 

その後は俳優業と考古学の研究を30年以上にわたり続けています。
卑弥呼で有名な邪馬台国の調査には特に力を入れています。

 

 

さて、ここでいきなりですがクイズです。邪馬台国はどこにあったのでしょうか?

 

 

……はい、時間切れ。答えはずばり「わからない」です。
邪馬台国の所在地は実はいまだにはっきりしていません。

 

 

魏志倭人伝をはじめとする文献には邪馬台国の存在は明記されているものの、その場所については明らかになっていません。
場所の論争が始まったのは江戸時代の後期で、
それ以来九州説と近畿説でいまだに揉めています。

 

 

興味のない人間からすれば2000年近くも前の国がどこにあったかなんてどうでもいいのかもしれませんが、考古学者にとっては大変な問題です。

 

 

現在の考古学界ではどちらかといえば近畿説が有力で、
特に現在の奈良県桜井市の纏向遺跡近くにあったという説が有力視されています。

 

 

苅谷さんも基本的にはこの説を信じているらしく、
1984年ごろから30年にわたって遺跡の調査を行っています。

 

 

2009年には苅谷さん自ら遺跡の発掘作業の補助に当たりましたが、残念ながらここが邪馬台国であることを示す決定的な証拠は見つかりませんでした。

 

 

この遺跡では弥生時代の後期から古墳時代の前期にかけての土器がたくさん出土しており、また周辺は大集落といわれているものの人が暮らしていた形跡が確認できていないなど何かと謎の多い遺跡です。2010年には桃の種が約2000個、2011年には魚の骨や鱗などが発見されました。いずれもお供え物だったとみられていますが、まだここが邪馬台国であるという証拠は見つかっていません。

 

 

いつかこの謎が解明されるといいですね。

 

 

さて、最近の苅谷俊介さんについてですが、
2003年からは神奈川県秦野市に在住しており、
同市の研究をつづけながら俳優業を行っています。

 

 

秦野市は神奈川県の西部にある人口約16万9000人の市で、
桜土手古墳公園などの歴史的遺物や自然資源が豊かにあり、
なおかつ東京からのアクセスも良好です(新宿から秦野まで小田急線で約1時間)。

 

 

苅谷さんは秦野市の豊富な自然といつでもたき火が出来るという環境がお気に入りで、当分の間ここから引っ越すことはないと話しています。

 

 

平成24年には秦野市内にある二子塚古墳に関する講演会にも呼ばれており、田舎暮らしを満喫されています。

 

 

こう聞くと俳優活動はやめてしまったみたいに聞こえますが、
もちろんそんなことはありません。さすがに年齢もあって以前ほど活動は活発ではありませんが、
2013年にはBS時代劇「火怨・北の英雄 アテルイ伝」に出演されていますし、その他時々バラエティ番組にも出演されています。

 

 

苅谷さんがご存命のうちに邪馬台国の場所が明らかになることを願っております。



最後までご覧いただき、ありがとうございました。
↓の共有ボタンをどうか押して下さい!!(土下座)
にほんブログ村 芸能ブログ 芸能熱愛・破局情報へ


スポンサードリンク

コメントを残す