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間寛平が先輩芸人の保証人になっていた?いったい誰の借金?


お笑い芸人であり、芸能界屈指のスプリンターであることでも知られている間寛平さん。吉本新喜劇の中ではトップクラスのカリスマ性を持ち、「アヘアヘアヘアヘ…」「ア〜メマ!」「かい〜の」などの多数のギャグを持っていることでも知られています。

 

 

そんな間寛平さんですが、実は若いころにある先輩芸人の保証人になってしまい多額の借金を抱えた過去があります。いったいなぜそんなことになってしまったのでしょうか?

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間寛平さんは1949年生まれのお笑いタレント、俳優です。身長164cm、高知県宿毛市出身、よしもとクリエイティブ・エージェンシー東京所属。

 

 

高知県宿毛市で生まれた後12歳で大阪府大阪市住之江区に転居。高校時代は私立の柏原高校に通っていて、野球部に所属していました。所属期間中に甲子園に出場することはできませんでしたが、その後柏原高校は2011年に見事甲子園に出場。その際には間寛平さんも野球部のOBとして観戦したとか。

 

 

その後石原裕次郎さんに対するあこがれから上京、歌手を目指すものの一度挫折し、大阪に帰ります。その後岡八郎さんと懇意になり、喫茶店でアルバイトをしながらお笑い芸人としてのステップを踏んでいきます。1970年に吉本興業入り。

 

 

1974年には吉本新喜劇の座長に昇格、翌年には「ひらけ!チューリップ」で歌手デビューし、ミリオンヒットを記録します。1978年には新喜劇劇団員の夫人と結婚し、1989年には島田洋七コンビを組みます。1995年には阪神淡路大震災に会うも家族ともども無事、2008年からはマラソンとヨットで世界を一周するアースマラソンに挑戦します。2011年1月にゴールインします。

 

 

趣味はマラソン。1998年には当時49歳という高齢ながら3時間8分という、市民ランナーとしては相当ハイレベルな記録をたたき出しています。24時間テレビのマラソンに初めて挑戦したのも間寛平さんです。もともとは心臓が弱くそれを克服するためにマラソンを始めたそうですが、いつの間にか病気を克服するどころかプロランナー並みの体力と心臓になってしまったのだとか。

 

 

また、間寛平はその人の良さと無知からたびたび借金を背負ってしまっています。若手・中堅時代には先輩芸人から借金の連帯保証人になってしまい、その怖さについてよくわからないままハンコを押してしまい、結果として1億円の借金を背負う羽目になってしまいました。人柄の良さも彼の魅力ではありますが、もうちょっとふるまい方には気を付けてほしいものです。

 

 

当時の借金取りは今と比べればとんだ無法者であり、公演中に取り立てが来ることも少なくなかったそうです。すごい時代だったのですね。

 

 

そのほかに、アメマバッジと呼ばれるキャラクターグッズを借金返済のために原価630円、価格1500円で販売するという計画を立てるも、バッジを作った直後に自信の出演していた番組があっさり終了、バッジはほとんどが売れ残り6000万円以上の借金を追加で追ってしまう羽目になってしまいました。

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ちなみに、これがアメマバッジです。目が光るのがチャームポイント。

 

 

代金が払えなかったことから裁判沙汰になり、結局6000万円以上の借金を背負うことになってしまった間寛平さんでしたが、奥さんと2人3脚で少しずつ借金を返していき、何とか完済を果たしたそうです。

 

 

奥さんはかなりのやり手(?)らしく、金融業者の前で娘をこっそりつねって泣かせて同情を買う作戦を繰り広げ、利子をなくしてもらうことに成功したのだとか。普通は利子をなくしてもらうことなんてまず不可能なんですが、これも間夫妻の人柄なんでしょうか?

 

 

ちなみに、当時売れ残ったアメマバッジはその後他の番組などでもプレゼントされたもののいまだに大量に余っており、今でも間寛平さんの東京のマンションのベッドの下に保管されているとか……。ちょっとほしい気もしますね。



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