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いろいろな「日本初」集めてみた


今回は様々な「日本初」を紹介していきたいと思います。

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日本初のボウリング場は江戸時代にできた!?

ボウリングのような西洋初の遊びは明治維新後に入ってきたイメージがありますが、実は日本初のボウリング場ができたのは1861年、江戸時代末期の頃です。場所は長崎県長崎市で、長崎に居留していた英国人貿易商グラバーと交流があった坂本龍馬が日本初のボウリングプレイヤーである、なんて説もあります。

本格的にボウリングが広まったのは1970年台で、最盛期には日本全国に約3700箇所のボウリング場がありましたが、ブームの退潮とともに次々と閉店。現在は820店舗にまで減ってしまいました。

日本初の家庭用ゲーム機はエポック社から出ていた

日本初の家庭用ゲーム機はエポック社がマグナボックスと共同で開発した「テレビテニス」です。テニスと言っても実際にはエアホッケーに近く、弾の速度は常に一定、跳ね返りの角度は常に45度と、現代はおろかファミコン時代のゲームと比べても遥かにシンプル、悪く言えば単純で退屈なものでした。価格は1万9500円、販売台数は約1万台でした。

日本初のアダルトビデオ男優は田原総一朗!?

初めてアダルトビデオと呼べるものが日本で誕生したのは1981年のことでした。それまでいわゆる大人向けのポルノ映像といえば日活ロマンポルノのように劇場で公開されるのが一般的でしたが、アダルトビデオはそれとは一線を画す、自宅で見るものとして広く受け入れられました。

しかし、それよりも前に田原総一朗氏がAV男優をやっていたことはあまり知られていません。

これは田原氏がまだテレビ東京のディレクターをやっていたときのことです。ヒッピーの全裸結婚式のドキュメンタリーという、現代ではまず放送できないテーマの撮影をしていた田原氏。何故かヒッピーはスタッフにも全裸になるように指示します。

そして花嫁はTVカメラに映されて気分が高揚したのか、列席者全員と今から性交すると発言。当然殆どのスタッフが尻込みする中、田原氏だけがそれを受け入れて撮影に望みました。

日本初の横綱は251cm!?

大相撲の最高位である横綱。元々は大関の中で綱を締められる人だけを横綱と読んでいましたが、江戸相撲が人気を博すようになると、吉田司家(相撲の家元)は権力保持のために横綱免許を考案します。1789年には当時人気があった谷風梶之助・小野川喜三郎に横綱免許が与えられます。

ではこの二人が初代横綱なのかというとそうではありません。谷風は4代目、小野川は5代目です。初代横綱はそれより100年以上前に活躍していたとされている明石志賀之助です。

京で仁王仁太夫を倒して日下開山の称号を受けたことから、初代横綱とされています。ただし、明石が横綱を占めた事実はなく、それどころか実在する人物であるかどうかもわかっていません。

電気によれば明石母身長約250cm、体重約185kgだそうですが、どう考えても眉唾ものですよね。なので実質的には谷風、小野川が初代横綱と言えそうです。なお、日本初の外国人横綱は曙太郎です。

日本初の法律は……

法律という概念が非常に曖昧なのでなんとも言えませんが、実質的な日本初の法律といえるのはおそらく710年の大宝律令でしょう。これは中国の律令制度を参考に作られた刑法と行政法で、天皇を中心とした二官八省が定められています。また、特定の形式にそっていない文書は受理しないという、文書主義が導入されています。

日本初の超高層ビルは霞が関ビルディング

超高層ビルとは、高さが100m以上のビルのことです。日本初の超高層ビルは千代田区霞が関にあるオフィス・複合施設の霞が関ビルディングです。設計は山下寿郎設計事務所、施工は三井建設と鹿島建設。鋼材を組み合わせた柔構造を採用しており、1958年に建造されました。



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